『青空のむこう』(アレックス・シアラー)



アレックス・シアラーの作品は胸を打ちます。それは真摯な眼差しを持っているから。目の前の問題から目をそらさず、嫌なことやつらいことにも真っ直ぐ投げ掛け、そこから生じる想いを真っ直ぐ受け止めるから。でも嫌なことやつらいことをそのままにするのでなく、そこに優しさの眼差しもあることによって希望へと繋げています。この『青空のむこう』でもその眼差しがありました。

主人公ハリーは交通事故にあって死の世界に来たばかりの少年。死の直前に姉のエギーとのけんかが気掛かりとなり、同じく死の国で出会った少年アーサーとともに生者の国へと降り立つのだった。
死者の国に来た人たちは手続きを終えれば、かなたの青い世界へと旅立つ。しかし現世にやり残したことがある人は旅立つことをせずに、幽霊のような状態で留まることになる。記憶にもない母親に会うことを望むアーサー、姉と仲直りをしたいハリー、ふたりともその望みのために旅立たずにいる。生者の国にはそんなやり残したことを果たそうとする幽霊や、そのやり残したことすら忘れてただそこにいるだけの幽霊がいる。死を迎えた時にやり残したことがないなんて言い切れる人なんてどれだけいるのだろう。そんなことを思いながらそれを果たすための時間が用意されているというのは、優しさなのかなとも思わされます。
また生者の国へと戻ったハリーには見たくなかったもの知りたくなかったものを目の当たりにすることになります。自分がいなくなっても前まで通り変わりなく学校生活を過ごす友達たち。自分の机もコート掛けも他の誰かに使われてしまっている事実。自分は忘れられたのだろうか。自分がいなくともみんなにとっては関係がないのか。それもまた真実。でもそうではないということが、きちんと示されています。これもまた優しさに満ちた真実。
そして深い悲しみに沈み込む家族の姿もまた、ハリーにとって見たくないものだったでしょう。もちろん自分がいなくなったことに対して悲しんでいなければそれはそれでショックでしょうが、自分のせいで家族が落ち込んでいる姿を見るのもショックでしょう。それでもハリーは健気に家族に届かない声を届けます。そしてけんかしたままになっていた姉には、ありったけの力を使って想いを伝えます。死んだ人の想いも生きている人たちに届くのだということ。これは死を描く物語に於ける優しさなのでしょう。
ハリーがいつでもどんな時でもユーモアを忘れず健気でいること。それがこの物語の救いにもなっています。子どもが不意の事故で亡くなるということ。そんな悲しい事実も、ここでは物語の力で希望を持つものへと昇華されています。その希望が胸を打つのです。
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『春の庭』(柴崎友香)



面白かったー! と読み終えて、さて感想を書こうとしたら何をどう書いたらいいのやらわからなくなる。そんな状態に陥っています。
家の物語、町の物語、去り行く人たちの物語。移り行くものたちの物語。舞台となるのが立て壊しの決定しているアパートとその裏にある水色の瀟洒な家。その家はCMディレクターと小劇団女優の夫婦が住み、そこを舞台とした写真集が発行された場所。写真集を介して知っていたその家に入ってみたい、中を見てみたいという思い。そんなことが淡々と、そしてユーモラスに書かれています。
主を変えながらもそこにある家。町の風景の一部だと思っていたものが不意に消えてしまうこと。もうすぐなくなってしまうアパートに住んでいるということ。父親の遺骨を粉にしたすり鉢と乳棒、部屋いっぱいに詰め込んだソファ。何かを表わしているような、そのままそれでしかないような。事件が起こりそうで起こらず、冷蔵庫の中の豆腐に思いを巡らせて幕を閉じる物語。ものごとの連続が日常ならば、日常に訪れる変化や断絶は何を表わすのか。
そんなこんなを思いながら、やはり面白かったー! としか言えない思いを抱くのでした。

『はるかな空の東 クリスタライアの伝説』(村山早紀)



20年前に発行された作品です。作者自身による挿絵のタッチも相まって、懐かしい雰囲気に溢れています。この懐かしさは20年前のエンタメ作品を知っている者の感覚でしょう。(20年前でも懐かしい感じがしたのかも知れません。20年前の段階で既にお馴染みとなっている感覚なのかも)しかし20年を経た今になってこの作品が文庫化されたのです。現在の新たな読者の目にはこの物語はどのように写るのでしょうか。
異世界ファンタジーの魅力的な要素がこれでもかと詰め込まれています。善神と邪神の争いの伝説、歌により人々を癒す歌姫、邪神を復活させようとする魔女、囚われの姫と人間世界に避難させられた姫、目覚める秘められた力などなど。それはきっと作者が描きたいことを全て詰め込んだ結果なのではないでしょうか。だからと言って全体が大味になることもなく、広大の世界観の中で行なわれた事件と物語という形がしっかりと見えます。きっとまだ語られていない物語がこの世界にあるのだろうという気にさせられ、物語の終わり以降の広がりを感じます。
その世界観の確実さはは時代を超えるものだから、きっと今の読者の心にも響くものとなるのでしょう。そしてこの文庫化が成功したならば、20〜30年前の様々なファンタジー作品の復刊も期待したりもするのです。

『怪物はささやく』(パトリック・ネス、シヴォーン・ダウト・原案、池田真紀子・訳)



前々から気になっていた作品。読もう読みたいと思いつつも、読めばきっと打ちのめされると思い躊躇していました。また読んでしまうのが勿体なくも思っていました。思い切って読んでみるとやはり打ちのめされました。しかしそれはとても素敵な読書体験だったのです。自分の中で大切な一冊となりました。

13歳の少年コナーは母親とふたり暮らし。母親は病に冒され、そのことを学校で広めてしまった幼馴染みの少女とは折合いが悪くなり、周りのみんなからは腫れ物を触るように扱われ、いじめっ子グループに目を付けられ暴力を受ける。そんなコナーの元に夜中に現れた怪物。怪物はコナーが望んだからやって来たと言う。そしてこれから三つの物語を語り、そのあとコナー自身に四つ目の真実の物語を語るように言うのだった。
母親の入院のため祖母の家に行くことになるが、祖母とは元々馬が合わず、やって来た父親も自分を助けてくれない。そんな暗鬱な思いに満ちていく様子が、キリキリと締め付けるように描写されます。コナーの視点で書かれる物語ですが、そこから読み手が第三者的に見ることにより、コナーが築く壁が見えてきます。世界中の全てが敵になったような、世界中の全ての不幸を背負ったような気分になっているコナー。だからこそコナーは誰にも打ち明けられない思いを胸に秘めます。怪物はそれを語れと言う。そして胸に秘めたその思いも真実ならば、もうひとつの語られぬ思いも真実であると。矛盾するふたつの思いはひとりの人間の中で同居し得るものだと告げます。不幸に立ち向かうということは、我慢することでも無理矢理乗り越えようとすることでもない。まずは自分の思いに真っ正面から向かい合うこと。真実を語ること。
最後に母親に告げた真実の言葉。それによりコナーの心は解放されたのでしょう。それこそが救いであり、不幸に対抗する唯一の武器。読み手を締め付けていたものも消え去り、浄化されたような読後感が残ります。

『まっ白な嘘』(フレドリック・ブラウン、中村保男・訳)



恥ずかしながら初めてのフレドリック・ブラウンなのです。あれ? SFの人じゃなかったっけ? くらいの認識しかありませんでした。猛省しております。なぜ今まで読んでいなかったのだと後悔しました。それくらいにとてつもなく面白かったのです!
様々なタイプのミステリが詰まった短編集です。オーソドックスな犯人当てもあれば、どのようにして?に主眼を置いたハウダニットもあれば、微妙なズレがもたらす奇妙な味もあり、最後の一行に驚愕するものもあります。そしてそのどれもが、「なぜ?」が「なるほど!」に変わる快感を味わえます。
殺人現場に残された足跡の謎。自殺するはずのない人物が自殺する原因。下宿の部屋に明かりをつけずにいる理由。記憶を失った男の顛末。憎き悪漢の最期。そして最後に読者に仕掛けられる罠。どれもユーモアとサスペンスが融合された極上の一品です。
こうなると、他のミステリ作品はもちろん、SF作品も読みたくなりますね。またまた楽しみが増えたというものです。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。

好きな作家は、有栖川有栖、田中芳樹、江戸川乱歩、倉知淳、恩田陸、北村薫、宮部みゆき、京極夏彦、小川洋子、殊能将之、梨木香歩、泡坂妻夫、東川篤哉、綾辻行人、長野まゆみ、大崎梢、恒川光太郎、吉田篤弘、上橋菜穂子、岡田淳、R・ダール、E・ケストナー、などなど。気になりゃ何でも読みます。

子どもたちに物語の面白さを伝える、そんな駄菓子屋のような古本屋を目指します。

「古本 大吉堂」大阪市住吉区遠里小野5−3−1




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