『灰色の畑と緑の畑』(ウルズラ・ヴェルフェル、野村泫・訳)



今から40年以上前の作品ですが、ここに書かれていることは今に通じるものも多いでしょう。子どもたちを中心として人々の生活をスパッと切り取って描写されています。その結果として貧困や差別などが表出しているように感じました。つまり世の中のことを描こうとすると、そういう問題となるできごとを書かざるを得ないかのように。
1編1編は短くスッキリと書かれています。そのため問題となるものが色濃く見えます。問題は提示されるだけで解決する訳ではありません。虐げられている人が救われる訳でもありません。悲劇的に煽っているというよりも、それもまた人々の営みをそのまま切り取っているが故に見えるのです。
しかしそれだけでなく、遠足でいなくなった少年が遅れてやってくる話や、恐怖心から夜の鳥を生み出してしまう少年の話や、別れた父親に会うもぎくしゃくしてしまう話など、物悲しさの中に妙な諧謔的な面白さを感じる物語もあります。
そして最後に収録されているのが、貧村から飛び出して学校に入り教師となって故郷に戻ろうとする若者の物語。希望を感じながら幕を閉じるのです。
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『ドクターぶたぶた』(矢崎存美)



ピンクのぶたのぬいぐるみのぶたぶたさん、今回は消化器系内視鏡手術のエキスパートです。ぶたぶたさんのお医者さんだというと小児科だとか過疎地でお年寄り相手にというイメージがありましたが、まさか胃がんの手術に携わるような話になるとは。(過疎地云々はそういう面も物語上出てきますが)
シリーズを追って読んでいる身としては、ぶたぶたさんはぬいぐるみだけどぶたぶたさんというひとりの人物(?)なんですけれど、物語の中でぶたぶたさんと初めて出会う人にとっては怪しげな存在なんですよね。ぬいぐるみだし。しかも話を聞いてもらうだとか、手料理をごちそうになるというような今までの関わり方とは違い、命に関わる手術をそのぬいぐるみに託せるかどうかとなると話は変わってくるでしょう。そんな一面もしっかりと描写されています。
それは自分の努力などではどうしようもないことを理由に他人から拒絶されることと思えば、誰にでも当てはまる話なんですよね。そこをぶたぶたさんは仕方がないことと割り切っているように見えます。しかしそれは物語上の語り手がぶたぶたさんをみて思うこと。ぶたぶたさんの心中は語られないので、そこの葛藤は想像するしかないのですが、そんな部分が垣間見られたことでよりぶたぶたさんの魅力が増すのが、ぶたぶたさんの素敵なことなんでしょうね。

『片隅 』02(伽鹿舎)



とある企画で不意に手にした本は九州限定に配本された文芸誌でした。
谷川俊太郎と茨木のり子の詩に挟まれて、様々な小説が並びます。ここでもまた、ここでしか出会えなかったろう作家との出会い。ジャンルが定められている訳でないので、読み始めてもしばらくは曖昧模糊とした中を手探りで進むような感覚。人物は? 世界は? そんなことを思いながら読み進めることの面白さ。思いも寄らない世界へと連れて行かれる快感。そんなものを味わいました。
その中で不意に現れた「さくら奇譚」(菅野樹)先に収録されていた作品の流れから、何となく思い込んでいた流れと全く違うある種の怪異譚に翻弄されました。
そして「ひとひらスヴニール」(梶尾真治)『エノマン』のシリーズは読んだことがないのですが、そんなことは関係なしに世界に引きずり込まれました。そしてその世界には上下左右360度広がりを感じさせられました。大きな世界を切り取ったもの。だからこそページ数以上の濃密な世界に浸り、小さな穴から広い世界を覗き見しているような面白さがありました。
この本のことはネットで見聞きしていました。こういう本があるのだということは知っていました。しかし実際に手に取ってみると、その大きさ重さ紙質手触りその全てで本なのであるという当たり前のことに気付かされたのです。そんなこんなと色々な当たり前でありながら忘れがちなことを思わされる本でした。

『尼僧とキューピッドの弓』(多和田葉子)



ドイツの田舎町の歴史ある尼僧修道院を訪れた日本人のわたし。そこには様々な人生を送ってきた女性たちが共同生活をしていた。そんな尼僧たちの生活を観察するわたし。しかしわたしに滞在許可を与えた尼僧院長が不在だった。
透明美、陰休、老桃、火瀬、貴岸。わたしが尼僧たちにつけた呼び名は、その読みを示されておらず非現実感を高めます。しかし彼女たちはしっかりと現実に足を下ろしてそこにいます。
修道院の尼僧というと人生の全てを宗教に(神に)捧げた人たちなのかと思いましたが、そうとは限らず彼女らの宗教観も様々なものだったのです。それよりは自分の人生をどこかの段階で振り返り、少し方向を変えてみよう高さを変えてみよう歩む速度を変えてみよう、そう思った先に修道院があったのかも知れません。そこで共同生活をすることにより己の考えが純粋化することもあるでしょうし、より複雑化することもあるでしょう。わたしはそんな尼僧たちに彼女らの枠の外から声を投げ掛け、様子を観察します。静的なのに、いや静的だからこそ映像的なそんな面白い感覚がそこにありました。
そして第二部では失踪した尼僧院長の自伝。いかにして修道院へ入り尼僧院長となったのか。そして何故失踪することになったのかが語られます。第一部では尼僧たちはわたしに語りかけ、わたしがそれを文章化しましたが、ここでは己の言葉で表されています。そこにあるのはひとりの人間の意志。他者に流されたのか自分で選んだのか。自分の意志とは何なのか。さて。

『ダーウィンと出会った夏』(ジャクリーン・ケリー、斎藤倫子・訳)



間もなく20世紀を迎えようという年の夏、キャルパーニアは庭にいるバッタに見たことのない色と大きさのものがいることを見付け、変わり者の祖父にそのことを相談する。それが彼女と科学との出会いだった。
百年以上前のアメリカ南部の田舎町に住む少女が、ダーウィンの著書と自然科学を観察研究する祖父に出会い科学の面白さに目ざめる物語。
時代が時代のため女の子が科学に興味を持つこと自体周りに認めてもらえず、苦手意識に溢れた料理や手芸など良妻賢母となることを強いられる。3人の兄と3人の弟に挟まれ、女に生まれたということで違う扱いを受けることにも不満と違和感を抱く。根底にはそんな時代が持つ差別的要素がありますが、(このこと以外にも黒人差別などにも触れている)物語自体は明るく前向きに展開されます。それはキャルパーニアの性格に負うところが大きいでしょう。失敗しても叱られても落ち込みさえすれど尾を引かない。興味を持ったことにはとことん突き進む。そんな彼女がこれからの新世紀を突き進んでいき、やりたいことはやりたいと強く思うことで叶うものになるという予兆を刻んで物語は幕を閉じます。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。

好きな作家は、有栖川有栖、田中芳樹、江戸川乱歩、倉知淳、恩田陸、北村薫、宮部みゆき、京極夏彦、小川洋子、殊能将之、梨木香歩、泡坂妻夫、東川篤哉、綾辻行人、長野まゆみ、大崎梢、恒川光太郎、吉田篤弘、上橋菜穂子、岡田淳、R・ダール、E・ケストナー、などなど。気になりゃ何でも読みます。

子どもたちに物語の面白さを伝える、そんな駄菓子屋のような古本屋を目指します。

「古本 大吉堂」大阪市住吉区遠里小野5−3−1




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