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『アーヤと魔女』(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ、田中薫子・訳)

アーヤと魔女
アーヤと魔女

子どもの家で暮らすアーヤを引き取ったのは魔女だった。魔法を教えてもらえると思ったのにこき使われてばかりのアーヤは、黒ネコのトーマスとともに魔女に対抗する魔法を作ろうとするのだった。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ最後の作品。ダイアナ作品は込み入った構造のものが多く、それが魅力だと思っていました。しかしこれは単純明快で、アーヤの何事にもめげないたくましさが魅力となっています。
魔女の部屋の気持ち悪さにも、魔女の脅しにも、それがどうしたと受け流すアーヤの強さは壮快です。これはピッピや一連のロアルド・ダール作品にも通じる児童書の楽しさのひとつでしょう。
佐竹美保のイラスト(しかもそのほとんどがカラー!)により楽しさがより一層膨らみ、ああ面白かったと一気呵成に読んでしまう一冊です。
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『彼らが本気で編むときは、』(百瀬しのぶ、荻上直子・原作)

彼らが本気で編むときは、
彼らが本気で編むときは、

小学生のトモは母親が家を出て行ったため、母の弟のマキオの元へと行く。マキオは恋人のリンコと一緒に暮らしていた。トランスジェンダーであるリンコは、優しさと愛情をトモに注ぐのだった。

自分のことを「体の工事は全部終わっているんだけど、戸籍はまだ男のまま」と告げるリンコに、トモは初め拒否感を持ってしまう。でもリンコとともに時間を過ごしていく内に、リンコの心に触れ居心地の好さを感じるようになる。
その心に触れるきっかけが、リンコのおっぱいに触れることから始まるのも象徴的だなと感じました。リンコにとっておっぱいは自分が自分であることの支えとなるものだったのですから。

「ふつう」ってなんだろう。リンコには様々な視線や行動や言葉が投げ掛けられます。その度に傷つきながらも一心不乱に編み物をすることで鬱憤を晴らすリンコ。そんなリンコを温かく見守り共に戦うマキオ。リンコに投げられた言葉に憤るトモ。ふつうではないけれど、3人は家族になろうとしていました。
そんな3人に訪れるおしまいの日。
トモの下す決断は、リンコを傷付けたのか。トモが寝る時に手放せなかったハンドタオル。リンコはハンドタオルの代わりにはなれたけれど、母親の代わりにはなれなかった。
でも安心して心を委ねられる人がいるということは、トモにとっては掛け替えのないことでしょう。母親の代わりなんかじゃない、リンコはリンコとしてトモとの関係性を築けた。この物語の先には、そんな新たな関係性の3人が見える気がしました。

荻上直子監督による映画作品のノベライズ。実はまだ映画は見ていません。恐らくは切り口や見せ方が違うのかも。映画の3人にも会いたいです。

『スタートボタンを押してください』(アンソロジー)

スタートボタンを押してください (ゲームSF傑作選) (創元SF文庫)
スタートボタンを押してください (ゲームSF傑作選) (創元SF文庫)

ゲームをテーマにしたSF短篇アンソロジー。
ゲームを扱った作品と言っても様々なパターンがあり、ゲームをやることがストーリーの基軸となるもの、ゲームの中の世界が書かれたもの、ゲームのような展開があるもの、などなど。それぞれゲームに対するアプローチが違っており、こんな風に扱うこともできるのかと驚かされるアンソロジーでした。

死んだ時に近くの人間に乗り移ってしまう男、友が残したゲームには友の死の真相が隠されている、脳の障害による病気の治療に効果があるというシミュレーションゲーム、命を懸けたパズルゲームの行方、FPSゲームの私ならではのプレイ法、MMORPG内のミッションでリアルマネーが手に入る理由とは。
どれもゲームの魅力と小説の魅力が融合し、思いもがけない展開に目を見張ります。

ゲームは元々大好きでずっとやっていたのですが、ここ15年くらいはご無沙汰しているんです。その間に様々な新しいゲームが現れ、新しい世界が広がり、新しい遊び方が増えてきました。
このアンソロジーに出てくるゲームにも驚かされることしきり。そうか今はこんな楽しみ方もあるのかと、ゲーム熱も再熱させられそうでした。
実に贅沢で満足度の高いアンソロジーです。

『僕たちのカラフルな毎日』(南和之+吉田昌史)

僕たちのカラフルな毎日 ~弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記~
僕たちのカラフルな毎日 ~弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記~

弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記とサブタイトルにあるように、同性愛者カップルふたりの出会いからこれまでを書いたエッセイ。ふたりのことは新聞記事やテレビのドキュメントで知り、昨年はふたりを取り扱った映画も見ました。

LGBTという言葉が広まり、あらゆるメディアで日常的に語られることが多くなった今でも、実際にLGBTの人(この言い方は好きではないし、問題もありますが、敢えて使います)と会ったことがあるという人はどれくらいいるでしょうか。少ないのではないでしょうか。
でも、もしかすると日常的に話をしているのかも知れません。何故ならLGBTというカテゴリで言われる人たちは、そのことを隠しているから。気付かないだけで、すぐ隣にいるのかも知れません。

何故隠しているのか、その理由はここに述べなくともすぐにわかるでしょう。世にはびこる差別に対して自分を守るために隠さざるを得ないのです。
ならばこのふたりのように同性愛者であることをオープンにしている人はどうなのか。ふたりも世の中を変えようとしてオープンにしているのではないでしょう。自分たちの生き方そして自分たちの幸せのためには、オープンにする方がいいと考え抜いた結果なのでしょう。
そしてオープンにすること(本にすること)で、同性愛者があなたの隣のにいることをを示すことができるのです。少数者である自分たちは日々こうして暮らし、こう考えて、こんなに幸せでいる。それを世に示すことで社会は生きやすいものへと変えることができるかもしれない。生き苦しく感じている人が少し楽になるかもしれない。

書かれている内容は、本当にごく何でもないことです。波瀾万丈とサブタイトルにありますが、そんな煽ることでもない。でも当人たちにとっては大きなことであり大切なこと。
ひとりひとり異なった人生があり暮らしがある。それは異性愛者も同性愛者も変わらないこと。だからこれは異性愛者も同性愛者も関係なく、みんなそれぞれが自分の幸せを求めて生きることを応援する本でもあるのでしょう。

『きみの存在を意識する』(梨屋アリエ)

きみの存在を意識する (teens’best selection)
きみの存在を意識する (teens’best selection)

本を読むことが苦手でディスレクシアのグレーゾーンにいる子、字を書くことに違和感を持つ子、自分を女にも男にも分けられたくない子、過敏症で教室に行けない子、親と死別し養育里親の養子となった子、大人の期待に応えたくて過食気味になる子など、「みんな」と違う子がその違いに対峙していく連作短編集。

「みんな」と違うことに対しての、本人の反応や対応は様々です。そういうものだから仕方がないと諦めてしまう子、受け容れようとする子、必死に抗う子、自分の中に閉じ込めてしまおうとする子、どうしていいかわからず困惑する子。
「みんな」と違うことに対しての、他人の反応や対応も様々です。困った子だと思う、自分勝手なワガママを言っていると思う、迷惑だと思う、何とか力になれないかと悩む、そんなものだと受け容れる、そして全く気付かない気付こうとしない人も。

作者お得意の共通した舞台での語り手を変えた連作短篇の手法により、「みんな」と違うことに対しての、本人の思いと他人の見え方が交差し、より厚みと深みを増して読み手に提示されます。
本人が困っていることも、本人が必死に頑張っていることも、他人には違うように受け取られることがあることが書かれています。しかし書かれることによって困っているのだ、だから悩み何とかしようともしているのだと読み手に伝えるのです。

この作品は今現在困っている子には、寄り添い力となってくれるものとなるでしょう。作中には困っていることに対しての対処の仕方もエピソードとして織り込まれており、巻末には参考となる情報源が示されてもいます。
そしてこれは今現在困っていない全ての人にも読んで欲しいものとなります。あなたの目に怠けていると見える人、ワガママを言っていると見える人、みんなの和を乱す存在に見える人は、本当はその人自身が困っているのかもしれない。どうしようもできないのかもしれない。
その困ったことを除き取り助けることができるとは限らない。でも困っているということを知ることにより、寄り添い救える心はきっとあるでしょう。そんなことに気付かせてくれる作品でした。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。
YA(ヤングアダルト)、児童書を中心に「10代の心(実年齢問わず)を刺激する本」を並べています。
そして本人もそういう本が大好きです。


「大吉堂」大阪市阿倍野区阪南町3−7−8



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