『サーカス放浪記』(宇根元由紀)



昭和53年冬、初めてサーカスの舞台に立った著者によるサーカスの思い出。女性ピエロ(クラウン)としての日々、サーカスに集う人々の姿。
昭和50年代世の中ではまだサーカスのイメージは怪しい見世物小屋的なものもあったでしょう。そこに大学出の女性が飛び込む。実際に著者が入ったサーカスはその時既に株式会社化しており、前代的なものとは全く違っています。しかしサーカスにはサーカス独特の世界がやはりあり、その中で悲喜こもごも生きていく人たちの姿が活き活きと描かれています。
ただ思い出として印象強いものが書かれているためか、サーカス全体の様子はイマイチ把握しにくくはあります。それどころか著者自身のクラウンとしての姿も余り書かれておらず、著者がサーカス内でどういう位置にいたのかもわかりにくくもあります。それでも著者が感じたサーカスで放たれる強烈な光。それが読者にも投げ掛けられ、その光で照らし出され現れる様々な色と影にサーカスの魅力を感じるのです。
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『Arknoah 2 ドラゴンファイア』(乙一)



『アークノア』という絵本の中に入り込んだアールとグレイの兄弟は、そこで自らの心が生んだ怪物と相対することになる。そんな前作では弟グレイの怪物を退治して、グレイのみが現実世界へ帰還するところで終わる。そして第2巻となる今作では新たにマリナという少女がアークノアにやって来ることから始まる。現実世界でその歯並びの悪さからいじめられていたマリアの心が生んだ怪物は歯並びの悪い竜だった。
前作ではアールが自らの境遇を憂い逡巡し自らの道となるものを模索する様子が書かれていました。異世界での生活に馴染もうとしている様子も書かれていました。(その対極となる存在として全てに対して反発する弟グレイの姿も共に。)
しかし今作ではアールは状況に流されっぱなしなのです。主人公としての憂いも逡巡も見せず、その役割は新たな登場人物であるマリアが背負っているかのように見えました。これはアールの物語でなく、アークノアという世界の物語なのだろうか。だからアールには主人公としての役割を与えられていないのかと思いきや、マリアはアークが主人公として成り立つための要素であったことがわかります。
前作を引き継ぎ、次へとコマを進めるために今作はあるのでしょう。序破急の破となる展開。アールに決意させるための展開。状況に流されているだけだったアールが自分の意志で行動するきっかけとなるための展開。そう思うと居心地がいいように思えた前半の展開そのものが大きな伏線だったのでしょう。ラストで世界はひっくり返ります。
そして前作で物語から退場したかに思えたグレイ。あのひねくれ者のことは気に入っていたので、次回以降に動きがありそうなラストでの登場にニヤリとさせられました。続きが待ちこがれます。

『狩人の悪夢』(有栖川有栖)



人気ホラー作家白布施に誘われ、そこで眠ると必ず悪夢を見るという部屋のある「夢守荘」に泊まることとなったアリス。その翌日、白布施のアシスタントが住んでいた「獏ハウス」で右手首が切断された女性の死体が発見されるのだった。

作中で探偵役の火村がこの事件のことを「散らかっている」と称するように、様々な要素が次々と出てきます。突飛な凶器、壁に残された血糊の手形、被害者につきまとうストーカー、被害者と繋がりのあった今は亡きアシスタントの過去、もうひとつの死体とそこに残されたものなどなど。それらを元に組み立てられる推理の流れは、ひとつの流れが複数に分かれそれぞれがそれぞれの動きをしながらまた合流するような散らかり具合があります。
あとがきで元々この作品を倒叙もののスタイルで書こうとしていたとあるのですが、この散らかった流れは犯人側から描写されると慌てふためく様子を含めて面白そうな気もします。最後の火村の推理の流れの突飛さと着地点の美しさは倒叙の形でも活かせるような気もします。一度成立させた推理をある時点で捨て、それを後からもう一度本流に戻すことで活かすというやり方はその最たるものかも知れません。推理を披露する場面ではそういう倒叙ものが持つ緊張感があったような気もします。しかしそうなると犯人の動きに限定され、それ以外の部分の膨らみがなくなってしまうのでしょうか。もしかすると倒叙ものの楽しみも併せて楽しむものになっているのかも知れません。
僕にとって有栖川有栖は本格ミステリの教科書のような存在なのです。「本格ミステリとはなにか?」という問いに対する答が「有栖川有栖の作品」なのです。それはトリックや動機の奇抜さではなく、推理の流れの美しさなのです。その意味で今作では本格ミステリの本流の魅力を再認識させられました。
またアリスと火村の関係性が改めて書かれているというか、火村の抱える悪夢に対してアリスが一歩踏み込むシーンに少し驚かされました。これはあの「ドラマ化」の影響なのでしょうかね。何にせよミステリ部分以外も楽しめた作品でした。

『だいじな本のみつけ方』(大崎梢)



学校に忘れられていた文庫本は、まだ発売されていないものだった。
中学校を舞台に本が好きな子たちが、ちょっとした謎と本への想いに挑む青春ミステリ。謎自体はわかりやすく、謎を解くことよりもその過程に於けるやり取りを楽しむのがいいのかも。
かなり都合良く話が進む部分もありますが、そこはご愛嬌。しかしある一定のライン以上には進まないのは、中学生という登場人物の目と気持ちを大事にしているからでしょうか。
それはメインの男女ふたりにも表れています。決していい子だけではないのですね。自分の考えを相手に押し付けて勝手に一喜一憂してぶつかる場面も多いです。でもそれは中学生といえども幼さ故のものなのですね。本好きな中学生による本にまつわる物語となると、読み手は(それも本好きな大人の読み手は特に)そこにどうしても理想を抱いてしまいます。しかし作者は彼女ら彼らに、そんな理想を押し付けなかったのです。だから登場人物が活き活きと動くのでしょう。そしてその姿は同年代の読み手の心に響くのではないかと思うのです。
しかしこんな本に関わりたいと思う本好きの中学生がいて欲しいなとは、強く思うのですけどね。こんな子らがいたら一緒にどんなイベントを起こそうか。そんな想いも膨らみました。

『ドッグ・シェルター 犬と少年たちの再出航』(今西乃子)



アメリカ・オレゴン州のマクラーレン少年院で行なわれているプロジェクト・プーチ。そこでは野良犬や捨て犬を保護するドッグ・シェルターの犬を、少年院の子どもたちが世話をするのだった。
保護犬と罪を犯した子どもたちとの出会い。素敵な取り組みですが、これを形にするのは大変だっただろうと想像します。お国柄なのかマクラーレン少年院は社会に対して開かれた印象があります。なによりドッグ・シェルターと協力しているということ。そして少年院の子どもたちが世話をした犬は、子どもたちの手によって飼い主募集のチラシを作られ(その掲示はもちろんスタッフが行なうのですが)、新たな飼い主と少年院の子どもが直に会って犬の受け渡しをする。また施設内で行なわれている犬の訓練に一般の人たちも参加できる、等々。これは社会で道を外れた子どもたちを見守ろうという思いの表れなのではないでしょうか。それがあってこそ、プロジェクト・プーチは成り立つのでしょう。
犬の世話をするという自分の役割を与えられることによって変わっていく子どもたち。自分を信頼してくれる犬の存在の大きさ。そしてそれを見守りそのシステムを構築したスタッフの努力。それら全てが胸を打ちます。
犬の引き取り手として自閉症の少年がやってくるのも考えさせられます。果たして自閉症の少年に犬の世話ができるのだろうか。そのことに犬の世話をしてきた少年院の少年は大丈夫と肯定します。そこにあるのはやはり信頼なのですね。犬との間で築けた信頼関係を、自閉症の少年との間にも築く。他者を信じ他者から信じられることを知り、それに価値を見出した者だからこそ言える肯定だったのでしょう。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。

好きな作家は、有栖川有栖、田中芳樹、江戸川乱歩、倉知淳、恩田陸、北村薫、宮部みゆき、京極夏彦、小川洋子、殊能将之、梨木香歩、泡坂妻夫、東川篤哉、綾辻行人、長野まゆみ、大崎梢、恒川光太郎、吉田篤弘、上橋菜穂子、岡田淳、R・ダール、E・ケストナー、などなど。気になりゃ何でも読みます。

子どもたちに物語の面白さを伝える、そんな駄菓子屋のような古本屋を目指します。

「古本 大吉堂」大阪市住吉区遠里小野5−3−1




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