『異邦の探求者 イストワール・エトランゼ』(成田杣道)

異邦の探求者 ―イストワール・エトランゼ― (電撃文庫)
異邦の探求者 ―イストワール・エトランゼ― (電撃文庫)

空間断裂実験の失敗「ザ・デイ」により変わり果てた世界。「ザ・デイ」の影響で、肉体を虚数界に移された「エトランゼ」、特殊な能力を得た「ライナー」、実験の被験者として集められた死刑囚に異能をもつに至った「囚人共(ジェイルズ)」が生まれ、不可思議な異常現象が起きる「痕(トレース)」という異邦エリアが世界各地に現れた。
その「痕(トレース)」のひとつ占都で占い師連続誘拐事件が起こり、異邦の地の謎を調査する「黒の協会」所属のエージェントの了次とルートのコンビが任務に当たることとなった。そこには伝承の「稀世の占い師」にまつわる人々の願いがあった。

SFファンタジーと称すればいいのでしょうか。専門用語(造語)が飛び交う世界の中で、主人公がその特殊世界の理の下で冒険を繰り出します。
この手の作品はまず世界観を飲み込むのが必要なのですね。そうでないと登場人物のセリフも行動も何もかも訳がわからなくなりますので。
かといって冒頭にズラズラと世界観の説明ばかり書かれても読む気が失せる。この辺りのバランスが難しいでしょう。
ここでは主人公コンビがはじめから動き回り、その合間に世界観の説明があり、設定を追っているうちに物語も展開するようになっていました。それでもわからない部分も多く出てきて、その度にえーっとこれはどういうことだ?と推考してましたが。まあノリですっ飛ばしても読めるようにはなっていましたので、難しく考えずとも楽しめます。

キャラクターにはそれぞれ行動に対する理由があり、それに則り動いているので突飛な設定でも感情移入しやすいです。作品レーベル的にはもっと性格を突き抜けたものにしてもいいのではないかという気もしましたが。でもそれはラノベレーベルに対する先入観(偏見)ですかね。
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『ピアニッシシモ』(梨屋アリエ)

ピアニッシシモ (講談社文庫)
ピアニッシシモ (講談社文庫)

松葉が幼い頃心慰めてくれた隣家のピアノが譲られた先で出逢った紗英。華やかで自信家の紗英に松葉は惹かれていくのだった。

性格も家庭環境も違うふたりの少女が出逢うことで始まる物語。しかしそこから想定される展開は待っていませんでした。憧れが自己を昇華してくれる訳でもなく、他者を受け容れることで自己が変わっていく訳でもなく。なれ合いでも依存し合うのでもない友情。でも松葉と紗英は出逢うことで、それまでとは違う自分を見付けることになるのです。いや、それまで気付かなかった自分を見付けると言うべきでしょうか。

松葉は自分のことを平凡で良くも悪くも特化していないと思っています。周りに合わせて流される、そんな風にも思っています。しかしそれは松葉に嘘がないからかも知れません。他者に合わせてしまうのは他者への思いを真っ直ぐ見ているため。それは憧れだったり尊敬だったり幻滅だったり諦めだったり。相手への感情に嘘がないので、相手を見る目も容赦ないのかもしれません。それは親や先生への反抗ともなり、友達への想いに繋がる。その松葉の目がこの物語の核となり、松葉の周辺の人々を解体していきます。そして読者は松葉の目を通して、自らの親や友達への思いに気付くのかもしれません。

そんな目をもつ松葉だから、紗英によって変わっていくというよりも自己を確立していくように見えます。だから紗英が物語から逸れて行っても、松葉は自分の道を淡々と進んだのでしょう。そこに本人が気付いていなかったとしても。
何とも面白い読後感がありました。

『夏の階段』(梨屋アリエ)

夏の階段 (teens’ best selections)
夏の階段 (teens’ best selections)

巴波川高校一年生クラスメイト5人の物語。
高校一年瀬の前半部分を5人の男女それぞれの視点で書かれています。5人は入学したばかりの頃に一緒にプリクラを撮った5人。でもグループという訳でもなく、たまたまそこにいた5人。そんな5人がそれぞれに語る高校生活はそれぞれの悩みがあり、ある人の物語に出てくる彼や彼女にもそれぞれの物語があるのです。
視点が変わることでひとりの人物の印象がコロコロと変わります。おれやわたしが見るおれやわたし。彼や彼女が見るおれやわたし。それらが重なり合います。ピタリと同じところもあれば、大きく違うところもある。そんな重なりやズレが物語の奥行きを作り、人物を立体感あるものにします。
また物語はある人物のある時間を切り抜いたもので、そこで何かが大きく変わるとかいうのではないのです。それでも高校一年生のある時間というのは本人にとっては大きいものなんですね。それでもある時間という瞬間よりも、その先の未来に向けて作者の目は向いているように思えるのです。だからこそ最後に何気なく示された変化が大きく意味を持つように感じたのです。

『こゝろ』(夏目漱石)



そういえばきちんと通読していなかったと、今更ながらに読みました。あれ? 漱石ってこんなにも読みやすかったっけ? と思いながらスルスルと読み進めたつもりだったのですが、実際は普段よりも時間が掛かっていました。これは面白い感覚ですね。読みやすさと読み応えの共存というのでしょうか。
エゴイズムと罪の意識の葛藤。それだけならば、下の「先生と遺書」のみでも書けるのではないか。でもそのできごとを経た上でどのように生きるのか。それが上の「先生と私」で書かれているのでしょう。しかも他者の目から書くことにより、罪を背負った者の姿を浮き彫りにしているのでしょう。またその罪について最後まで明かさないという一種ミステリ的手法により、読者は引き込まれながら先生の内へと入っていくのでしょう。
となれば、中の「両親と私」の立場はどうなるのだろう。てっきり下編のあとで私の思いが書かれ、そこに両親の(死にいく父への)思いが絡むのかと思いきや、先生の遺書のみでぷつりと途切れてしまう。しかし中編の最後、その遺書を読んだ私が死を目前とした父を置いて先生の元へと行く、そのことが答えなのでしょうか。それを書くためにこそ中編は存在しているのでしょうか。
漱石については研究され尽くされているので、その答えもきっと誰かが述べられているのでしょう。しかし今は自分の心の中でしばらくその思いを熟させてみます。

『あたらしい図鑑』(長薗安浩)



扁平足がきっかけで出逢った老紳士は詩人だった。
過去様々な作家が「少年と老人と夏」で物語を紡いでいます。この組み合わせはある意味定石なのでしょう。しかしだからこそ難しいテーマでもあると思います。そして見事にここにしかない「少年と老人と夏」が描かれていました。
言葉にならないものを言葉にするのが詩人。そんな詩人からもやもやとした言葉にならないものをスケッチブックにスクラップしていけと言われる少年。はじめはもやもやとしたものとは何なのか、それ自体がもやもやとしていたのが、気になる言葉を次々に辞典で調べ自分の言葉にしていく内に現れるもやもやとしたもの。言葉に向き合うことによって、世の中のアレコレ森羅万象とも向き合うことになる。言葉と向き合うことで世界は広がる。そんな真っ直ぐなメッセージが眩しく素敵です。
出逢った瞬間に恋に落ちる憧れの少女、気の置けない親友(この少年もまた己に真っ直ぐで素敵なのです)、そんな青春もの直球な要素を加えながら、詩人と少年の交流がかっこよく描かれます。そう、かっこいいんですよね。詩人もその詩人に対して真っ直ぐな少年も。このかっこよさが青春小説の醍醐味なのでしょう。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。

好きな作家は、有栖川有栖、田中芳樹、江戸川乱歩、倉知淳、恩田陸、北村薫、宮部みゆき、京極夏彦、小川洋子、殊能将之、梨木香歩、泡坂妻夫、東川篤哉、綾辻行人、長野まゆみ、大崎梢、恒川光太郎、吉田篤弘、上橋菜穂子、岡田淳、R・ダール、E・ケストナー、などなど。気になりゃ何でも読みます。

子どもたちに物語の面白さを伝える、そんな駄菓子屋のような古本屋を目指します。

「古本 大吉堂」大阪市阿倍野区王子町3−4−4




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