『ドクターぶたぶた』(矢崎存美)



ピンクのぶたのぬいぐるみのぶたぶたさん、今回は消化器系内視鏡手術のエキスパートです。ぶたぶたさんのお医者さんだというと小児科だとか過疎地でお年寄り相手にというイメージがありましたが、まさか胃がんの手術に携わるような話になるとは。(過疎地云々はそういう面も物語上出てきますが)
シリーズを追って読んでいる身としては、ぶたぶたさんはぬいぐるみだけどぶたぶたさんというひとりの人物(?)なんですけれど、物語の中でぶたぶたさんと初めて出会う人にとっては怪しげな存在なんですよね。ぬいぐるみだし。しかも話を聞いてもらうだとか、手料理をごちそうになるというような今までの関わり方とは違い、命に関わる手術をそのぬいぐるみに託せるかどうかとなると話は変わってくるでしょう。そんな一面もしっかりと描写されています。
それは自分の努力などではどうしようもないことを理由に他人から拒絶されることと思えば、誰にでも当てはまる話なんですよね。そこをぶたぶたさんは仕方がないことと割り切っているように見えます。しかしそれは物語上の語り手がぶたぶたさんをみて思うこと。ぶたぶたさんの心中は語られないので、そこの葛藤は想像するしかないのですが、そんな部分が垣間見られたことでよりぶたぶたさんの魅力が増すのが、ぶたぶたさんの素敵なことなんでしょうね。
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『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)



タイトルから説教臭さを感じるかもしれません。元々1935年から刊行された『日本少国民文庫』の倫理をまかなうものとして書かれたものなので、もちろんそういう部分も多々あります。しかし実際に読んでみるとそれよりも物語の面白さに引き込まれます。
主人公コペル君の日々の生活とそこから生じる疑問や問題。それに対して叔父さんが科学的知識や歴史事項や自らの経験を踏まえての意見を返す。その叔父さんの意見がコペル君の体験に基づいているからこそ、教科書的ではない言葉として届きます。また科学や歴史の知識というのは実践的に己の体験に則して見ることで血肉となることも併せて感じさせられます。
何よりコペル君と級友たちの友情がいいんですね。はじめちょっと変わったやつと思っていたのが、経験を通じて相手のことを知り友情を育むことになる。80年近く前の作品なのに面白く読ませるのは、そんな友達関係の素敵さが変わらないからでしょうか。戦後一変した社会情勢に合わせて言葉や文章の変更が為されたとのことですが、この文庫化の際にまた元の形に戻されたそうです。きっと社会情勢や風俗は変われど変わらぬものがあることを示すためにも、その方がいいのでしょう。もちろんそこに現代的感覚と思想を付け加えて己のものにする必要はあるでしょうが。

『学校のぶたぶた』(矢崎存美)



今回のぶたぶたさんはスクールカウンセラーです。これはもう何というか天職ですよね。
ぶたぶたさんは見た目がぶたのぬいぐるみだけど、中身は普通の中年おじさんなんですよね。特殊な能力とか魔法とかある訳でない。でも、ぶたぶたさんは話をしっかりと聞いて受け止めて自分の考えを返してくれるのです。これはこれまでのシリーズでもそうでした。だから悩みをもった人がぶたぶたさんと出逢うことで、自分の中にある問題の解決に気付くというのが多かったのだと思います。
もちろん中学生の悩みは本人のみでどうしようもない部分も大きいのですが、ここにもうひとつのぶたぶたさんの特徴である仕事に対して真面目で確実に取り組むという部分が大きく関わり、しっかりとサポートしてくれる。うん、正にカウンセラーにこれほどまでに適任の人物(ぬいぐるみだけど)はいないでしょうね。そしてここ最近はぶたぶたさんがいなくても成立するような話が多かったのですが(ぶたぶたさんが聞き役に徹しているので)今回はしっかりとぶたぶたさんが物語の中心にいてくれる嬉しさもありました。当たり前だけどこのシリーズはぶたぶたさんがいてこそなのですから。また昔のようなぶたぶたさん自身のお話も読んでみたいですね。

『ガケ書房の頃』(山下賢二)



これは本屋がどうしたとか、個人店を営むためにはとか、そういったことを飛び越えて紡ぎ出される一大青春記でしょう。
これを読んで胸の奥にふつふつと沸き立った本屋周辺のアレコレを。まだまとまりきれない想いをつらつらと書き出してみます。

本とは何なのか? 読書とは何なのか? 自分にとって読書は娯楽である。本は娯楽を提供してくれる媒体。それ以上でもそれ以下でもないもの。ならば中身さえあればいいのか? 電子書籍でいいのか? いや、本はハードとソフトが一体化した究極の媒体。本さえあればいつでもどこでも、その娯楽を享受することができるもの。風化してしまうことがあるかも知れないけど、物理的にダメにならない限りいつの時代のものでも中の情報を容易く取り出すことができる。だからこそ古本というものが手軽に世に流通する。そんな媒体が好きであり、そこから得る娯楽が好きなのである。

個性的な本屋とは? 個性的な本屋と呼ばれる店がどこも似たような造りや品揃えになってしまっている現状。本好きな人が好きな本というレッテル。しかし売れなきゃ店は維持していけず、売れるパターンがあるのならそれをなぞるのは致し方ないことなのでは。でも、ならばこそ「個性的な本屋」とは何だろう? 個性的であっても経営が成り立っていなければ、そこは本屋として継続できなくなってしまう。

本屋は誰のためのもの? 本が好きな人は本屋がどこにあろうとも行くが、普段本を読まない人の目には本は全く写らない。本を日常的に読まない人に本を意識してもらうにはどうすればいいのか? 本と全く関係ないものと結び付ける? 本を本好きの人たちだけの嗜好品としてしまっては、益々本の未来が本屋の未来がなくなってしまう。かといって安易に別業種と結び付けるのもどうなのだろうか。カフェを併設すればいいという問題ではないかも知れない。

何故本屋なのか? 本が好きであり、本を介した娯楽が好きであり、その楽しさを伝え広めたいから。何故? 広めることで本の世界が広がり、より一層本の楽しみが増え、その楽しみに出逢うことができるようになるから。
つまりは、もっと自分自身が本で楽しみたいから、本の世界が先細りされては困る。楽しむために広めていきたい。

本の世界の端っこに立つものとして、色々考えさせられたのです。


『儚い羊たちの祝宴』(米澤穂信)



上流階級を舞台にした美しくも残酷な短編集。
お嬢さまとお付きの使用人、別館に幽閉される長男、別荘の管理人、宴専門の料理人と、浮世離れした世界観だけでも楽しめます。全ての話を繋ぐのはちらりちらりと顔を出す読書サークルの「バベルの会」。それ自体がメインに語られることはありませんが、それ故に存在感を発しています。こういう象徴的存在もまた世界を彩るものとして楽しませてくれます。何よりこういう世界観が好きなんですね。
そんな世界観の中で繰り広げられる惨劇。周到な伏線が張り巡らされて、これでしかあり得ないという着地点へと辿り着く。何気なく繰り返される言葉が深く恐ろしい意味をもつようになるミステリ的仕掛けも楽しいが、どの話も何故? という動機に当たるものの恐ろしさが魅力となっています。浮世離れした舞台だからこそ映えるのでしょう。何から何まで作り込まれた世界に身を委ねる悦びを味わえます。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。

好きな作家は、有栖川有栖、田中芳樹、江戸川乱歩、倉知淳、恩田陸、北村薫、宮部みゆき、京極夏彦、小川洋子、殊能将之、梨木香歩、泡坂妻夫、東川篤哉、綾辻行人、長野まゆみ、大崎梢、恒川光太郎、吉田篤弘、上橋菜穂子、岡田淳、R・ダール、E・ケストナー、などなど。気になりゃ何でも読みます。

子どもたちに物語の面白さを伝える、そんな駄菓子屋のような古本屋を目指します。

「古本 大吉堂」大阪市住吉区遠里小野5−3−1




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