『飛び跳ねる教室』(千葉聡)



「ちばさと」こと歌人の千葉聡さんは30歳を過ぎてから中学校の国語教師として新たなスタートを切る。新人教師に待っていたのは過酷な毎日だった。しかしその過酷さの向こうには温かい笑いに満ちたものも待っていた。
教師としての毎日や子どもたちとの交流が、短歌を交えて語られます。この短歌を交えてというのがこの本の一番の特徴でしょうか。いや、短歌エッセイと銘打たれているのだから当然なのですが。中学校というのは大変なところであるというイメージが先行しています。ちばさとも散々周りからそのことを言われ、実際に自分でもその大変さを味わいます。しかし中学生とともに歩むことを決めた時に大変さだけではないことにも気付かされます。
これは中学生とふだん接していない人には中学生が持つ様々な顔に気付かされるものとなるのかも知れません。一口に中学生と言っても彼ら彼女らはひとりひとり違う顔を心を持っています。そんな当たり前のことにも気付かされ、中学生たちに媚びるのでなくすぐそばにいるちばさとの素敵さに気付くのです。
そして短歌と触れ合っていなかった人が短歌の魅力に気付く本でもあるでしょう。中学校での様子がエッセイとしての文章だけでなく短歌でも表わされているので、より多角的にこちらの心に入ってきます。そのことで短歌があらゆる物事を表わすことができるのだということにも気付かされます。短歌を教科書などでしか知らなければ、短歌って堅苦しいもの高尚なものというイメージがあるんですよね。僕も最近になってそのイメージから脱却しましたから。31文字の短い中にこれだけの世界を込めることができるのだと思い知らされます。
普段自分が接していない世界を知ること。その面白さを楽しむことのできる、そんな一冊でした。

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『尼僧とキューピッドの弓』(多和田葉子)



ドイツの田舎町の歴史ある尼僧修道院を訪れた日本人のわたし。そこには様々な人生を送ってきた女性たちが共同生活をしていた。そんな尼僧たちの生活を観察するわたし。しかしわたしに滞在許可を与えた尼僧院長が不在だった。
透明美、陰休、老桃、火瀬、貴岸。わたしが尼僧たちにつけた呼び名は、その読みを示されておらず非現実感を高めます。しかし彼女たちはしっかりと現実に足を下ろしてそこにいます。
修道院の尼僧というと人生の全てを宗教に(神に)捧げた人たちなのかと思いましたが、そうとは限らず彼女らの宗教観も様々なものだったのです。それよりは自分の人生をどこかの段階で振り返り、少し方向を変えてみよう高さを変えてみよう歩む速度を変えてみよう、そう思った先に修道院があったのかも知れません。そこで共同生活をすることにより己の考えが純粋化することもあるでしょうし、より複雑化することもあるでしょう。わたしはそんな尼僧たちに彼女らの枠の外から声を投げ掛け、様子を観察します。静的なのに、いや静的だからこそ映像的なそんな面白い感覚がそこにありました。
そして第二部では失踪した尼僧院長の自伝。いかにして修道院へ入り尼僧院長となったのか。そして何故失踪することになったのかが語られます。第一部では尼僧たちはわたしに語りかけ、わたしがそれを文章化しましたが、ここでは己の言葉で表されています。そこにあるのはひとりの人間の意志。他者に流されたのか自分で選んだのか。自分の意志とは何なのか。さて。

『みだれ撃ち瀆書ノート』(筒井康隆)



1976年から雑誌『奇想天外』に連載されたものや、同時期に書かれた書評や解説をまとめたもの。作家筒井康隆が読んだ本についてあれこれと語ります。面白ものは面白いとつまらないものはつまらないと、忌憚のない言葉でつづられています。そこには自分の立つ場であるSFへの想いがあります。いわゆる文壇で話題となる評価の高い作品に対する憤り、そこで扱われている問題や手法はSFでは常套のものではないかと、SFの不遇さに声を大きくします。しかし決して露悪的にならず心地好く響くのは文章の持つ明るさからでしょうか。それはつまり著者自身の性格によるものなのでしょう。
しかしここで紹介されている本を今読もうとして、どれだけのものが新刊書店でスンナリ手に入るのでしょうか。40年前の本で今も流通に乗っているものがどれだけあるのでしょうか。それはまた別の問題であれど、胸にずしんと残りました。

『クヌギ林のザワザワ荘』(富安陽子)



アパートを追い出された矢鳴先生は、猫又の不動産屋から紹介されたザワザワ荘に引っ越すことになる。そこはアズキトギや水の精が住む少し変わったアパートだった。
元祖妖怪アパートと称している感想を見掛け、なるほどその通りだなと思ったのです。児童書ですが出てくるのはおじさんばかりというのも、何とも面白いです。妖怪たちとの付き合いは共感できるとことできないことが共存し、あなたはあなた私は私の関係が築かれます。しかし許容できない部分は許容できないと水の精やアズキトギの邪魔もする。それもまた自然な流れだと受け容れている関係が面白いです。ただ単なる理想郷としてザワザワ荘が描かれていないんですね。
ほのぼのとしてのんびりとして、それでいて起伏に富んだストーリーが楽しめます。

『押し入れの虫干し』(高山なおみ)



料理家高山なおみによる自伝的物語。現在のふとしたことから思い出がよみがえり、思い出に刺激されて行動する。そんな流れがふんわりとして流れるように読みました。
描くエピソードによるものも大きいのかもしれませんが、高山なおみの文章には味と匂いが濃厚です。それも人工的なものでなく土の匂い血の味といったような生のままの自然の味と匂い。だからこそ思い出のエピソードに血が通い、今目の前で起こっていることのように、自分の経験のように感じられるのでしょう。折々に挿入された著者自身の子どものころの絵も、それに拍車をかけるのかも知れません。確たる味と匂いだから拒否反応も強いでしょう。でも一度気に入れば病み付きになってしまうのです。そうして高山なおみの文章に惚れていくのです。でも読み終えた後、無性にお腹が空くのは読むことにそれだけ体力を要するからでしょうかね。
プロフィール

大吉

Author:大吉
物語の魅力を伝える古本屋をやっています。

好きな作家は、有栖川有栖、田中芳樹、江戸川乱歩、倉知淳、恩田陸、北村薫、宮部みゆき、京極夏彦、小川洋子、殊能将之、梨木香歩、泡坂妻夫、東川篤哉、綾辻行人、長野まゆみ、大崎梢、恒川光太郎、吉田篤弘、上橋菜穂子、岡田淳、R・ダール、E・ケストナー、などなど。気になりゃ何でも読みます。

子どもたちに物語の面白さを伝える、そんな駄菓子屋のような古本屋を目指します。

「古本 大吉堂」大阪市住吉区遠里小野5−3−1




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